次代の英国国王の名は何か? Part I

Ineffabilis!

先に書いたエリザベス二世女王陛下«HM Queen Elizabeth II»お誕生日の記事で、その後継者問題に触れた。というより主たる話題は継嗣たるウェイルズ公殿下«HRH The Prince of Wales»の再婚問題、すなわち将来の王妃の問題であったけども。その記事の最後に「次の英国国王の名は何か?」という問題を示唆した。今回は「称号」カテゴリーでこの問題について考えてみることにする。

まずいっておくことは、この問いは「現ウェイルズ公は継嗣に値しないから、その長男であるウィリアム王子殿下«HRH Prince William of Wales»が父親を飛び越して国王となるべきだ」というような意味でも、「近い将来に生まれるであろうウィリアム王子殿下の御子の名を予想しよう」よいう意味でもない。あくまで、現実的に起こるであろう条件、すなわち「エリザベス二世陛下がお隠れになり、しかも現ウェイルズ公が健在であり、国王として即位する」時において、「国王の名は何か?」を考えてみるのである。しかし、これには結論が出ない。何故なら、それはその時にならないと解らないからである。実際、ここで扱うのは「国王の統治名そのものに関する考察」なのである。

ここまで読まれた方で、「現ウェイルズ公はすなわちチャールズ王子であるのだから、当然チャールズではないのか?だから国王の統治名としては『チャールズ三世«Charles III»』だろう」と思われる方もおられるかもしれない。決して考え方としては間違いではない。しかし、英国の王党派«Royalists»君主制主義者«Monarchists»の中には、現ウェイルズ公に「ジョージ七世«George VII»」として即位していただきたいと思っている者が結構いる。私もそうである。

これはどういうことなのだろうか。
これにはまず、英国国王における統治名の命名法の仕組みを知らねばならない(そんなにたいそうな話ではないけど)。簡単にまとめてみる。

  1. ヨーロッパの慣習では国王の統治名は洗礼名に関わらず何でもよい
  2. 英国(イングランド王国・グレートブリテン王国・連合王国)の慣習では洗礼名から採る。(1)
  3. ノルマン朝のウィリアム一世からスチュアート朝の最後の君主であるアン女王まで洗礼名は一つしかなかったので、その洗礼名がそのまま統治名となった。(2)
  4. ハノーヴァー朝以降ドイツの洗礼名を複数並べる慣習が入り、王族は洗礼名を複数持つようになった。
  5. 王族は大抵多くの洗礼名のうち一つか二つで公式に知られるが、国王として即位する人は即位時に統治名を決める。それまで知られていた洗礼名とは違う洗礼名でもよい
  6. ハノーヴァー朝およびサクス・コウバーグ・ゴタ朝の故地であるドイツでは、君主の統治名が複数なのはよくある話だが、英国的な慣習でない。
  7. 即位時の宣言«proclamation»にすべての称号を記したフルタイトルが記されるが、そのフルタイトルの一部という形で統治名も正式に判明する。(3)
上記の注
  1. スコットランドではロバート三世が洗礼名以外の名を統治名に用いた例がある。彼の洗礼名はジョンだったが、イングランドに屈した国王ジョン・デ・ベイリャルと被ってしまうのを避けるためにロバート三世として即位したのである。
  2. ノルマン朝第二代国王であるウィリアム二世、いわゆるウィリアム・ルーファス«William Rufus»のRufusは赤毛の意で、彼が赤毛だったことから付いたあだ名もしくは添え名«epithet»
  3. この即位時のProclamationというものは、スチュアート朝ジェイムズ一世より前は君主自身が公布するいわゆる詔。ジェイムズ一世以降は正式宣言として枢密院«Privy Council»が公布するようになった。というのも、エリザベス一世没時にジェイムズは新イングランド国王として一国も自らの体制を固める必要があったが、彼自身はスコットランド国王としてスコットランドにいたためにイングランド国王の即位の詔を出せなかった。そこで枢密院に出させたのだが、以降これが慣例化した。)

以上のことを考えてハノーヴァー朝以後に見られる例を追ってみよう。以下のリストは即以前に知られていた名前ではない洗礼名を統治名とした英国(グレート・ブリテン王国および連合王国)君主である。括弧内は全洗礼名。強調されているのが即位以前に知られていた洗礼名。

  1. ヴィクトリア (アレクサンドリナ・ヴィクトリア«Alexandrina Victoria»)
  2. エドワード七世 (アルバート・エドワード«Albert Edward»)
  3. ジョージ六世 (アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ«Albert Frederick Arthur George»)

ジョージ一世の場合、ハノーヴァー選帝侯としてはゲオルク・ルートヴィッヒ«Georg Ludwig»(英語で言うジョージ・ルイス)のように複数の洗礼名を統治名として使っていたが、英国王とてはジョージのみとなった。しかし、エドワード七世の場合と異なって、一番最初の洗礼名を用いたのでこのリストに入れない。ジョージ二世のハノーヴァー選帝侯世子時代のゲオルク・アウグストゥス«Georg Augustus»も同様。

エドワード八世はよくデイヴィッドと呼ばれていた。しかし、これはあくまで王室内のニックネーム(もしくはマスメディアが呼ぶあだ名)であり、公式名ではない。

個々の事情を見てみよう。
ウィクトリア女王の場合は、やはり母であるケント公妃の名がヴィクトリアだからだろう。もっとも、ヴィクトリア女王の場合、即位数年前にアレクサンドリナをやめヴィクトリアの方を使うようになったようである。

エドワード七世の場合家庭事情も絡んでやや複雑である。ファーストネームであるアルバートというのは、もちろん父親であるサクス・コウバーグ・ゴタ公子「王配公」アルバート殿下«HRH Prince Albert of Saxe-Coburg-Gotha, Prince Consort»から採られている。しかし、決して父子の関係はよくなく、アルバート・エドワードとしては「父」から脱却したかったようで、またアルバートという名は英国王としてはなじみが薄い名だった。夫の死後も夫を愛し続けたヴィクトリア女王自身は「アルバート王」を支持しただろうが、結局頭の上がらない母親の死後になってようやく彼は公式名としては「アルバート」から脱却したのである。

ジョージ六世の場合ははっきり言って兄貴のせいである(ちょっと違うが)。彼の兄は言わずと知れた「王冠を捨てた恋」のエドワード八世。回ってこないはずの王位がいきなり無理矢理回ってきたのである。このときヨーク公であったアルバート王子はジョージ六世として即位した。何故だろうか。理由はまず二つ考えられる。彼の4つの選択肢の内、アルバートは先ほども書いたようになじみが薄い。アーサーもノルマン朝以後の王にはなじみが薄い。フレデリックはジョージ二世の継嗣であったウェイルズ公(当時)の名がフレデリック・ルイスであったが、彼は父親よりも前に薨去したので、フレデリック王は誕生しなかった。こうしてみるとジョージがもっとも国王の名前としてはふさわしい名前である。

もう一つは、当時の状況である。兄の突然の退位によって王室の権威と声望は急速に揺らぎ始めていた。新国王にとってその回復は急務であった。そこで、彼は父である偉大なジョージ五世にあやかろうとしたのである。英国における立憲君主としての王室の地位を確立し、庶民にも人気の高かったジョージ五世はまさに安定の象徴だった。実際ジョージ六世も名君と呼ばれるに足る国王となるのである。

さて、ではなぜ王党派や君主主義者の一部は現ウェイルズ公に「ジョージ七世」になって欲しいのか。長くなったので、次の記事で結論を書きたい。

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25/03/2021称号, 英国, 過去ログ

Posted by dzlfox