ルクセンブルクと’Royal Highness’
大陸(ヨーロッパ)に於ける称号・敬称は、英国のそれに比べてかなり複雑な様に思えます。もっとも、英国だけにフォーカスしているからわかりやすい、とも言えそうですが。今までは、基本的に英国のものばかりを対象にしていましたが、これからは徐々に大陸のものも増やしていくつもりです。ただし、私がそんなに詳しくないので、称号に興味を持った人が調べていく課程で悩みそうなことについて、つまりは私も悩んだことについて、考察していくつもりです。今回はルクセンブルク大公の敬称について扱います。
この記事を書いている途中で、サウスアイランド公が「公」と「大公」に関する疑問を書いておられました。多少視点が違いますが、参考になれば幸いです。
上記の様に、大公の継嗣はHereditary Grand Dukeという称号を帯びます。この一見変に見える称号は、ドイツ語のErbherzögeの英語における訳です。このサイトではでは、大公世子とでも訳しましょう。ルクセンブルクはドイツ連邦崩壊までドイツ系国家でした。今日ではフランス語が使われていて、Hereditary Grand DukeはLe Grand-Duc Héréditaireとなります。
ちなみに、Prince (=Fürst)の後継者の称号はHereditary Princeとなります。ここでは公世子とでも訳します。現存する公国で言うと、ドイツ系のリヒテンシュタインはErbprinz、フランス系のモナコはLe Prince Héréditaire
現存する
公国でもDuchyの方は君主国としては現存しません。英国内にDuchy of CornwallとDuchy of Lancasterがありますがこれは君主権を有したものではありません。なので、日本語では公領と訳されます。
ちなみに私は、’Fürst (=’prince’)’を「侯」と訳し、’Fürstentum (=’principality’)’ を「侯国」と訳すことには反対するものです。というのも、Fürst = Marquessでもなく、FürstがMarkgrafから発展したものでもなく、いわば特殊なものだからです。さらに、日本の五等爵の公爵は英語ではPrinceと訳されます。e.g., Prince Ito = 伊藤(博文)公爵。このPrinceは明らかにドイツのFürstから取ったものですから、上記の法則に当てはめれば、日本の公爵は侯爵になり、明らかにダウングレードしてしまうのです。この場合、HerzogとFürstをどう訳し分けるか、という問題が残りますが、このサイトでは上記の訳を一切取りません。こういった訳上の問題故に、私は基本的に英語もしくはその他の原語で考察しています。
まずさらっとルクセンブルク成立までの歴史を見てみるつもりで結構書いていたんですが、長くなった上にややこしくなったので割愛します。またの機会に。
というわけで、とりあえず、現大公家の構成を見てみましょう。
- HRH Jean Grand Duke de Luxembourg (退位: 2000年10月7日)
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m. HRH Joséphine-Charlotte Princess de Belgium
- HRH Marie Astrid Princess de Luxembourg
-
m. HI & RH Carl Christian Prince Imperial and Archduke of Austria
子あり
- HRH Henri Grand Duke de Luxembourg
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m. Maria Teresa Mestre y Batista
- HRH Guillaume Hereditary Grand Duke de Luxembourg
- HRH Felix Prince de Luxembourg
- HRH Louis Prince de Luxembourg
- HRH Alexandra Princess de Luxembourg
- HRH Sébastien Prince de Luxembourg
- HRH Jean Prince de Luxembourg (本人及び子孫の継承権を放棄: 1986年9月26日) (*)
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morganatically m. Helene Suzanne Vestur
子あり
- HRH Margaretha Princess de Luxembourg
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m. HSH Nikolaus Prince von und zu Liechtenstein
- HRH Guillaume Prince de Luxembourg
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m. Sibilla Sandra Weiller
- HRH Paul-Louis Prince de Nassau
- HRH Léopold Prince de Nassau
- HRH Charlotte Prince de Nassau
上記の表では、配偶者は旧姓で記してあります。したがって、実際には男子の配偶者は夫の称号の女性形を帯びています。ただし、(*)が付いているPrince Jeanとその妻子については下記を参照。
注意すべき点が色々あります。
まずは、Grand Duke Jeanのことです。Grand Duke Jeanは世子のHenriの長子Prince Guillaumeが成人に近づいた2000年にHenriに譲位しました。しかしながら、退位後の称号は在位時とかわらず’HRH Grand Duke Jean de Luxembourg’のようです。また、妃の称号も同じようです。つまり、HRH Grand Duchess Josephine-Charlotte de Luxembourg
つぎに、Grand Duke Jeanの子の方のPrince Jeanのことです。元々ドイツ系の家には
morganatic marriageとunequal marriageはしばしば同じ意味、つまり身分の不釣り合いな結婚、という意味で用いられます。貴賤結婚という訳語は辞書から取ってますが、その訳はこれを反映しているのでしょう。ほかの二つは私の使っている日本語で、権威はありません。
Prince Jeanの場合、何らかの理由で父親の許可を得ることが出来なかった様で、それに先立ち、継承権を破棄することになりました。未確認乍らどうやら許可を得る前に出来ちゃったらしい。そのため、その夫人及び子には後に’Count/ess de Nassau’の称号が与えられました。
さらに、Grand Duke Jeanの末子であるPrince Guillaumeの子の称号のことです。かれらは’Prince/ss de Nassau’という称号を帯びています。’Prince/ss de Luxembourg’の称号を帯びていません。これは、貴賤結婚云々の問題ではなく、’Prince/ss de Luxembourg’の称号の適用範囲の問題によります。ルクセンブルク法を綿密に読めば、Grand Dukeの子及びHereditary Grand Dukeの子が’Prince/ss de Luxembourg’の称号を帯びる、とされています。しかし、Nassau関連の称号は世代数関係なく嫡男形嫡出子に受け継がれますから、Grand Dukeの余子の子であっても、称号が無くなるわけではないのです。
さて、ここからが本題です。現在のルクセンブルクの大公族の敬称は’Royal Highness’です。ここで、称号関連を研究した人らが悩むところです。本来、Grand Duke夫妻及びHereditary Grand Duchess夫妻以外は、HRHではないのです。
基本的には、それ以外の大公族の面々は、’Highness’であらねばならないのです。BadenとHesseの両大公国はそれぞれ、Grand-Ducal Highnessを余子のために使っていましたが、その他の大公国は例外はあるものの’Highness’でした。
では、なぜルクセンブルクはHRHなのでしょうか。実は、余子のHRHに関しては、ルクセンブルク大公からのものでもナッサワからものでもなく、ブルボン-パルマからのものなのです。
このブルボン-パルマというのはなんでしょうか。英語で言うところのBourbon-Parmeというのは、簡単に言ってしまうとブルボン朝パルマ公家を指します。
さて、このように、ブルボン-パルマというはスペインーブルボン家の分家、すなわちフランス王家であるブルボン家の庶流と言うことになります。ここで言う庶流とは庶子から出た家系という意味ではなく、分家の分家という意味。
フランス王家はサリカ法を採用していますから、その見返りというべきか、男系子孫はすべて称号を継承します。フランス王の子、長子の子、およびその他の孫を除く男系子孫はPrinces du Sangとよばれる身分となります。この’Princes du Sang’の面々は、1824年までは’Serene Highness’の敬称で、それ以後は’Royal Highness’の敬称で称されます。
その分家の当主は代々国王の余子であった人物が賜った爵位を継いでいきます。その余子は、その爵位の領土名の部分つまりapanageを家名とします。スペイン・ブルボン家の場合、フランス国王ルイ14世の長子の次男であるフェリペ五世はそのままブルボンをスペイン語形で家名としてます。したがって、その分家であるパルマ公家もブルボンが家名となるわけです。
パルマ公家の場合、パルマがイタリアに併合されるまでは’Prince/ss de Bourbon’は用いていませんでしたが、パルマ公ロベルトが廃位されると、その子孫たちは’Prince/ss de Bourbon’を’Prince/ss de Parme’と共に用いる様になりました。この二つが合わさって、’Prince/ss de Bourbon de Parme’もしくは’Prince/ss of Bourbon and (of) Parme’もしくは’Prince/ss of Bourbon-Parma’または’Prince/ss de Bourbon-Parme’なのです。
さて、ここでルクセンブルクに戻りましょう。現在のルクセンブルク大公家は’House of Nassau’を称していますが、実は’House of Nassau’の男系は1912年に時の大公
というわけで、Marie AdélaïdeとCharlotteの時は、神聖ローマ帝国-ドイツ連邦と続いてきたナッサワ家ではなくなったとはいえ、ある意味ナッサワを名乗っても良い感じもしますが、少なくともCharlotteの跡を継いだJeanとその兄弟以降は、Prince Felixから受け継いだ「ブルボン-パルマ家」ということになります。英国のSaxe-Coburg-Gothaと同様です。しかしながら、ルクセンブルク大公家は’Nassau’という名を残すことにします。それ故に現在でも’House of Nassau’と名乗っているのです。
とは言っても、実質Bourbon-Parmeなわけですから、男系子孫は’Princes du Sang’として’Royal Highness’で称される権利があるわけです。だからこそ、ルクセンブルク大公の余子等はHRHの敬称なのです。
'Prince/ss de Bourbon de Parme’の称号についても、Grand Duchess CharlotteとPrince Felixの子孫らはそれを称していました。しかしながら、’Nassau’の家名を公式に定めた1986年の布告で、Grand Duke Jeanは’Prince/ss de Bourbon de Parme’の称号とBourbonの家名を放棄しました。これはどうもパルマ公家が本家としてしゃしゃり出てくるのを防ぐ予防線ということと、大公世子のHenriが庶民と結婚することに本家が難色を示したことが原因のようです。
もっとも、これはあくまでルクセンブルク法による放棄であって、パルマ公家法に基づく放棄ではありません。’Prince/ss de Bourbon de Parme’はパルマ公家法に基づくものですから、それにしたがって放棄しない限り、実際に放棄したことにはなりません。あくまで、ルクセンブルクに於いて称するのを止めた、ということにしかならないのです。つまり今でも’Bourbon-Parme’ひいては’Princes du Sang’であることは変わらないのです。だからこそ、今でも大公の余子等は’Royal Highness’なのです。
ここでは、フランス系やドイツ系の称号を表すのに、’of’をつかわず、’de’ 、’von’ 、’zu’等をそのまま使っています。とかいいつつベルギーとオーストリアでは’of’を使ってたりしますが。
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- 1: サウスアイランド公国ブログ自治領/大公とは? (2004/11/09 15:00)
- さて、今まで皇帝、国王、爵位貴族の記事の中で「大公」という言葉が何度か出てきて
おりますが、「大公」とは何かをちょっとおさらいしてみたいと思います。日本語で大公と訳される称号(英語表記)は、Grand DukeとArchdukeの
2種類があります。その違いは以下の通り
ルクセンブルク大公一族がHRHの称号を帯びる根拠は分かりました(大陸系はややこしいですね)。
モナコ公一族やリヒテンシュタイン公一族の称号はどうなるのでしょうか?(公自体はHRHだと思いますが・・・)
次回特集を組んで下さると助かります。
メンバーもHSHになります。
大陸の貴族と言えば、昔「伯爵の子はみんな伯爵」という例を聞いて、それじゃどんどん膨張していってインフレで価値が下がるような……と思ったことがありました。
どんどん膨張するけど、どんどん絶家するからあまり問題はなかったのでしょうか(^^;
お目にかからないと思っておりましたら・・・。
確かに、急に冷え込んだり、暑くなったりしていますし。
ご自愛ください。
さて、フランスの例で言います。
「伯爵の子はみんな伯爵」といっても、伯爵のなかにも種別があります:
1. peerである伯爵
2. peerではないが実際に爵位を有している伯爵
3. 儀礼称号として伯爵である人
で、フランスでは、爵位の位云々よりも、peerであるかないか、ないならないで家(爵位)が古いかどうか、が価値判断の基準だったので、伯爵インフレもさした問題ではなかったのではないかと。(逆に言えば、爵位インフレがあるから、そういう価値判断をする様になったかもしれませんが。)
フランスで爵位の詐称が多いのもこのせいです。
というのはどういうものなのでしょうか?
伯爵位を有している=貴族=peer
という図式ではないのでしょうか?
爵位を持っているだけではpeerとは言えないのでしょうか?
基本的なことで申し訳ないのですがご教授頂けないでしょうか?
>伯爵位を有している=貴族=peerという図式ではないのでしょうか?
英国では:
爵位を有している=peer=noble
なのですが、フランスでは異なります。
というのも、フランスと英国(イングランドから連合王国まで)では’peer’の概念が異なります。
フランスでは、peerというのは、nobilityのなかで、特段に高貴とされている人たちでした。
もともと、12世紀頃に有力封建諸侯(duc)と高位聖職者をpeerとしたのがはじまりです。これらが絶えた後、国王が好きにpeerとする様になります(主にduc)。
つまり、peerとされなかったducはpeerでないとなります。
王政復古後、英国の議会制度をまねて、二院制が敷かれますが、このときの上院が貴族院(Chambre des Pairs)で、ここに議席を持つ人がpeerという定義に新たになりました。誰が議席を持つかは基本的に国王が決めていました。
ですので、儀礼称号ではない爵位を持っていても、Chambre des Pairsに議席をもてない人もありました。
その人等は、peerではない、ということになります。
ちょっとわからないのですが、フランスではたとえば公爵や伯爵の男系の子孫は、何代下ろうとみんな(格はともかくとして)公爵や伯爵の称号を当人の権利として持つことになるのでしょうか。
#どうも長子相続に慣れているので、ものすごい違和感が(^^;
それから、大陸の公や大公などは"Sovereign Right"の有無によって敬称が変わるそうですが、そもそもこの"Sovereign Right"とは誰か(皇帝?)が与えたものなのでしょうか?
>公爵や伯爵の称号を当人の権利として持つことになるのでしょうか。
今までの話からすると、爵位は持つけどPEERじゃないってことなのでは?
だからPEERとしての権利(政治へ関わり)がないのではないでしょうか?
推測ばかりですみません。
この件に関して言えば、爵位を持っている人と、儀礼称号として持っている人を分けて考えねばなりません。
peerに関しては、称号面では「peerではないが爵位を持っている人」とは変わらない様に思います。
フランスでは、見かけの称号よりも中身の方が重要なんじゃないかと個人的には思います。総督の所のマルキ・ド・サドに関して、ちょっと書きたいと思ってるんですが……。
> 現存する公国«principality»としては、モナコ及びリヒテンシュタインがあります。特殊なprincipalityとしては、アンドラとウェイルズがあると言えます。
スペインのアストゥリアスは公国(principality)ではないのでしょうか?
そう言及する人もたまにみますが、これは俗称でしょうか?
はい。アストゥリアスも公国です。
おそらく書いた当時はそこまで頭が回っていなかったんでしょうが、スペインの王政復古以降アストゥリアス公国のステータスがどのようになったのかがイマイチ私には不明です。
現在、自治地域(autonomous community)ですが、これが伝統的なアストゥリアス公国と同等の地位を与えられているかは寡聞にして不明です。
また、おなじPrincipalityでもsoverigntyがあるのか、lordshipがあるのか、では意味合いが違うので、現在のところ良くわかりません。
まぁ、あくまで「特殊な公国」の列記なので入れてもいいとは思いますが…。
最近、基礎からやり直そう!ということで、記事を再読させて頂いています。
(Honを口頭で使わないことまで忘れていたので、汗)
「日本の五等爵の侯爵は英語ではPrinceと訳されます。」
この「侯爵」は「公爵」のことで良いのでしょうか?
「このPrinceは明らかにドイツのFürstから取ったものですから、」
色々と調べていると、皇室制度も華族制度もドイツの影響が大きいですね。
海外の五等爵調査に関する史料も読んだのですが、皇室制度関係の書簡の方に「もっと自信持って下さい、伯爵!」と気を取られてしまいました(苦笑)
2004年へようこそ。
なんか書き方が若々しい記事です(笑)
>この「侯爵」は「公爵」のことで良いのでしょうか?
修正しておきました。
>ドイツの影響
そうですねぇ。かなり大きいですねぇ。
海外の人に「日本の華族制度の五等爵は英国を手本といいつつドイツ風」とかいわれた事があります。
2004年にお邪魔してます(笑)
なんと!侮りがたし、見ず知らずの外国人の方。
そう言えば、英国のサイトを幾つか覗いた際、結構、日本の戦前の皇族のマニアックな記事を見た覚えがあります。
(やはり、好きな人は好きなんですかね?)
某お雇い独逸人によるドイツ貴族に関する解説文(恐らく三条公、伊藤公や柳原伯向け)に、「ドイツには諸侯がいるのでビスマルク氏の侯爵は格別の事」という主旨などの説明があって、明治政府高官と欧州貴族制度の異色の組み合わせに、思わず笑ってしまいました。
ビスマルクの「侯爵」は、多分「Fürst」のことだと思うので、導入以前から当時の人も和訳に苦労したんでしょうね。