メアリ一世の夫君 – フェリペ二世 – 婿殿シリーズPart IV
今回はメアリ一世の夫君について考えて行きましょう。
メアリ一世の夫君はスペイン史上もっとも有名な国王であろうフェリペ二世です。レパント海戦とカレー沖海戦というスペイン・ハプスブルクの上昇と下降という二つの分岐点を現出した人です。
ところで、今をときめく女優ケイト・ブランシェットの出世作といえば『エリザベス』という映画です。この映画はインド人監督が色んなエピソードを勝手気ままに再構成したフィクションですが、称号・敬称に限って言うと、怪我の功名と言うのか、本当はちゃんと調べたのか、「適当にやってたらたまたま正解だった」という雰囲気をかもし出す場面があります。
そのうちの一つが映画冒頭にあります。メアリ女王の有名な「懐妊勘違い事件」の際に登城してきたノーフォーク公爵が女王にお喜びを申し上げた後、その横に腰掛ける暗そうな喋らない紳士に対し、「これはもちろん陛下(Your Majesty)のおかげでもあるのですが」の様な事を言います。この’Majesty’と称された男性が夫君のフェリペ二世です。
ですが、作家がどういうつもりだったかはともかく、ここにおける’Majesty’は少々ややこしいのです。’Majesty’といわれるからにはフェリペ二世はどこかの国王だったのですが、どこの国王だったのでしょう。
映画におけるこのシーンの年代がはっきりしないので、結婚時から見ていきましょう。
メアリとフェリペの結婚時、フェリペはアラゴンおよびカスティリャ(この二国を称してスペインと言う)の国王ではありませんでした。彼の父親がまだ生きていた為ですが、別にこれが問題なのではありません。既に女王であったメアリとの結婚を「対等」のものとするために、結婚の少し前にナポリ国王とエルサレム国王の位は譲られていた為です。つまり、彼はこの時点で’Majesty’と称される権利はあったわけです。
しかし、イングランドにおける彼の権利はそれに因るものではありません。
イングランドにおいては、jure uxorisの原則により、メアリ一世との婚姻が有効である限り’King of England’でした(もちろんそれに付随するKing of France and Irelandといった称号も持っていることになります)。
このことは、メアリ一世の詔書に明確に現れています。即位時に称号を定めた詔書(1553年10月1日)では、メアリ一世の称号は:
Mary the First, by the Grace of God Queen of England, France, and Ireland, defender of the faith, and of the Church of England and Ireland Supreme Head
となっています。しかし、ナポリ国王フェリペとの結婚時に称号を変更する詔書が出され:
PHILIP AND MARY by the grace of God King and Queen of England, France, Naples, Jerusalem, and Ireland; Defenders of the Faith; Princes of Spain and Sicily; Archdukes of Austria; Dukes of Milan, Burgundy, and Brabant; Counts of Hapsburg, Flanders, and Tyrol.
となりました(称号はフェリペのスペイン他継承によって適宜変更されました)。御覧のようにフェリペ(フィリップ)とメアリの連名となっています。もし、フェリペがKing-Consortならば、このように連名とはならずにメアリだけの名が記されるべきです。また、当時の議会も連名で召集されていることもフェリペの英国での地位を示しています。
メアリ一世が1558年11月17日に崩御したことにより、お互いの母国語で会話ができずにフランス語とドイツ語を話して何となく判った気になるという奇妙な夫婦関係が終わる事となります(もっとも夫はスペイン継承以降ほとんどイングランドにいませんでしたが)。それによってフェリペはKing of Englandという地位を失う事となります。
フェリペが次代のエリザベス一世に求婚する事になるのも、イングランドのプロテスタント化への牽制とともに、結婚自体が実際に名実ともに利をもたらすからといえます。
残念ながらエリザベスに結婚を拒否されたのち、スペインとイングランドの対立は激化し、無敵艦隊の崩壊とスペインの没落につながることになります。
しかし、フェリペは確かにメアリ一世との婚姻時はイングランド王フィリップでした。だからこそ現ウェイルズ公チャールズ王子が即位時に「フィリップ」というミドルネームを統治名に使った場合、彼は「フィリップ二世」となるのです。
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Comment(s)
Archdukeという称号が気になったので調べてみたら
オーストリア皇子にのみ使われる称号なのですね。
ヨーロッパの貴族制度は奥が深すぎです。
ここは大海をさまよう素人(和田)にはたいへん
参考になっています。
これからもよろしくおねがいします。
拝読しまして、メアリ一世の時代における女性の権利が
王位にまで及んでいるという感じがしました。
(おそらく、これ以降に書かれる女王の夫は
また各々の時代の制約があるのでしょうね。)それにしても、フェリペ二世の結婚時にナポリ王位を贈られたことは知っていましたが、当然のことながらエルサレム王位も付随してしまうのですね。
(すっかり忘れておりましたし、帝国内のスペイン系ハプスブルク領の称号も名乗っていたとは知りませんでした。)
しかし、ファナ女王の存命中に勝手にナポリ王国を譲るというのは、あくまで摂政であるカルロス1世がして良いのか微妙に思うのですが。
>ファナ女王の存命中に勝手にナポリ王国を譲るというのは、あくまで摂政であるカルロス1世がして良いのか微妙に思うのですが。この辺は時系列が少々複雑なのでいずれ整理する必要がありますね。暇を見つけて記事にでもします。少しまとめると、カルロスはアラゴン国王を母方の祖父のフェルナンドの崩御を受けて1516年に継ぎます。
それと同時に、母親のファナとともにカスティリャを共治します。これは、単にCo-Regencyに留まらずCo-Kingとして統治しています。しかしながら、問題のナポリ自体はアラゴン系に属しているはずなので、狂気ではあってもCo-Queenで且つ上位であろう母親に気兼ねする必要はなかっただと思われます。ハプスブルク家の称号に関しては、これは要するにハプスブルク家の一員は全員名乗るような物で、要するにドイツ的慣習ですね。
そもそも当主自身がその称号を実際に有しているのですが、ドイツ的慣習を受けてその一門もその称号を有しています(まぁ、英国でいう儀礼称号とでもいいますか)。ただ、一門がそれを帯びるのはルドルフ四世から結構時代が下ってからだったようにおもいます。
紛らわしいことを書いてしまい申し訳ありません。私の読める範囲の本でまとめると
厳密にはカスティリャ・アラゴン両王位はファナ女王が
終身在位し、カルロスは国王を自称する摂政と読めまして
私は、ファナ女王の生前のカルロスはデンマークのマルグレーテ1世のような立場と受け取っておりました。質問ばかりになってしまいますが、機会がありましたら
この辺の事情をお教えいただけないでしょうか。
(読んだ本が悪いのか、ファナを無視するものからカルロスを簒奪者とするものまで色々ありまして…本当にオルデンブルク家断絶時と並んで疑問に思う継承例の一つです。)