昔の新聞から探る「ウェルシュ・リヴァイヴァル」- Part 2
1904年から1905年にかけての最大のムーヴメントは前回述べたようにエヴァン・ロバーツの登場です。26歳という若い彼の説教により、ウェールズは熱狂に包まれ、10万人規模の若者が教会に戻ってきたと言われます。
彼の説教のポイントは主に以下の4点です。
- すべての罪を告白し、イエス・キリストの許しを得なさい。
- 生活の中で疑っていること、不安に感じていることを取り除いてください。
- すぐに聖霊に従うことができるように準備しておきなさい。
- 主イエス・キリストを公に告白しなさい。
漢の高祖である劉邦の「法三章」の逸話を彷彿とさせるようにクリスチャンにとっては非常にわかりやすい内容となっています。
当時のウェールズの庶民の教育レベルははっきり言って高くないので、このわかりやすさが良かったのでしょう。
さて、彼の説教の要するについて、当時の新聞はどのように語っているでしょうか。
ロンドンのウェールズ人コミュティのなかで発行されていた週刊の英語/ウェールズ語新聞であるThe London Welshmanの1905年1月5日号には以下の記事があります。
長い説教と短い説教
エヴァン・ロバーツ氏の心を掻き立てるようなリバイバル礼拝の特徴といえば、何より非常に短い時間しか話をしないということである。疑いもなく、やたらめったら長い説教の日々は終わりを告げた。将来、説教壇での話というものは短くなるに違いない。(p.6)
時期的にはちょうどムーヴメント真っ只中の1905年の1月ですから、まだまだ影響が大きいことを物語っています。
また、南ウェールズからの報告という形を取っているコーナーとはいえ、あくまでメインの読者が「ロンドン在住」のウェールズ人ということもあって、若干揶揄するような表現に見えなくもありません。
とはいえ、ここでもエヴァン・ロバーツの説教の魅力が非常にシンプルでわかりやすく、かつ長ったらしくなかったということであることがわかるでしょう。
私のかつての中学校の教頭先生は朝礼などで挨拶が非常に短く、長めの挨拶が多かった校長より人気があったことを思い出してしまいました。
さて、こういったウェルシュ・リヴァイヴァルの様々な側面を今後も見ていきたいと思います。
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