昔の新聞から探る「ウェルシュ・リヴァイヴァル」- Part 4

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実質的には1904年~1905年の2年ほどで終わってしまった「ウェルシュ・リヴァイヴァル」ですが、その時期から言うと今回続けて引用しているThe London Welshmanの1905年1月5日号というのはその中間地点であり、その盛り上がりをよく伝えていると言えます。

北ウェールズの大晦日の様子は前回見たように、普段よりも粛々としていて祈りに満ちており、犯罪も減ったということのようです。

新年(1905年)となってもこの宗教的情熱は続いているようですが、現代日本人からすると少しやり過ぎではないかと言うほどの熱狂となっています。

ウェルシュ・リヴァイヴァル
水曜日、フロースでの宗教復興に大きな弾みがついたのは、さらなる熱狂的な集会だった。午前1時まで続いた感謝礼拝のひとつで、帰宅途中に3人の酔った男が現れた。彼らは感銘を受け、その場で邪神とそのすべての業を糾弾し、呪われた酒には二度と手を出さないと誓った。三人組のうちの一人、64歳の男性は、言葉通りの行動をとり、コートのポケットから酒が入った瓶を2本取り出し、壁にぶつけた。水曜日の感動的な礼拝では、2人の若い姉妹が立ち上がってデュエットを歌い、その劇的な効果に聴衆は涙に打ちひしがれた。火曜日の夜、リヴァイヴァリストの一団が通りを行進し、パブの近くで立ち止まっては、讃美歌を熱唱した。火曜日には、リヴァイヴァルの創始者であるエヴァン・ロバーツの訪問を確保するための努力がなされていると発表され、来週の月曜日は大集会デイとして、地元の4つの大きな礼拝堂で終日礼拝が行われることになっている。説教者は、アベル・パリー牧師(フリール)、P・プライス牧師(サンルゥスト)、O・L・ロバーツ牧師及びジョン・ウィリアムズ牧師(リバプール)である。火曜日までの改宗者は800人近くであった。現在、東デンビーシャーの改宗者はほぼ2,000人に達していると思われる。 (p.7)

宗教的であれ政治的であれ、熱狂が度を過ぎると、非常にうざったものになりかねません。

そういう意味では、21世紀の日本を生きる私達からすれば、これは非常に面倒くさいなぁ、と思ってしまうものかもしれません。

ですが、これは1905年です。
現代人と20世紀初頭の人々とが違うという考えは私にはありません。ただし、当時の社会情勢を考える必要があります。
当時は産業革命による貧富の差の拡大が一巡し、社会問題に取り組む政策が打ち出される一方、1873年~1896年までの大不況、それに伴うチェンバレン主導の保護主義的政策、それへの反動からくる関税撤廃と自由貿易政策の復活、など英国の社会が揺れ動いている時期です。また、同時期に教育制度の抜本的な改革もあり、庶民の政策も加速度的に変化しています(当時の初等教育は教会関係が多かったのです)。

この1904-1905ウェルシュ・リヴァイヴァルが特徴的なのは、旧来の教義的な・聖書的な運動ではなく、エヴァン・ロバーツにみられるような幻視に基づくシンプルな教えが熱狂の元になっていることです。
この事により、旧来の社会体制への不満と既存宗教への不満足が、近代の教会が否定しがちな神秘的な本質に基づく熱狂へと昇華したと言えます。
つまりは、単独の宗教ムーヴメントというより、20世紀への社会体制の変化の一環と捉えることができるでしょう。

特に重要なのは、これがどちらかというと下にみられていたウェールズで起こった運動で、それがウェールズ内部にとどまらずイングランドを始めたとした英国全体へ波及していったことです。

ロンドナーとリヴァイヴァル
ウェールズは今、自らを誇りに思うに十分な理由がある。まさに「それ」がロンドンを占領したのだ。その名は日刊紙のコラムに大きく登場し、その大半の新聞の論調は、3週間ほどの間に驚くべき変化を遂げた。先週の土曜日の午後、ロンドン自由教会の精鋭たちがウェストミンスター・ブリッジ・ロードのクライスト・チャーチに集まり、ウェールズとそこでの驚くべき出来事について3時間近く語り合った。メトロポリスの宗教指導者たちは、昔のように自分たちが格下だと思っている人たちに教えるためではなく、無教養で粗野な野蛮人に教えられ、指導されるために、何人もこの公国に出かけている。あまりに斬新で、ほとんど実感がわかない。指導者たちの中には、リヴァイヴァルが監督と管理を必要としていると考えている者も1人か2人いたが、もしそうだとすれば、自分たちにはその重荷を引き受ける能力がなく、むしろリヴァイヴァルが自分たちを管理していることにすぐに気づいた。なぜイングランドではなくウェールズがこのような恩恵を受けたのかは、大多数の信心深いイングランド人にとって大きな謎である。しかしその秘密は、ウェールズ人が自分たちのことを天の寵児だとは思っていなかったことにあるのかもしれない。いずれにせよ、ウェールズが庇護されるどころか、羨望されているのは事実である。(p.10)

The London Welshmanという週刊新聞は、その名の通り、ロンドン在住のウェールズ人コミュニティを中心に流布した新聞です。だからこそ、ウェールズからの最新情勢の知らせだけではなく、ロンドンの情勢も的確に伝えられるわけです。
この記事からも当時のイングランド人がウェールズ人をどのようにみていたか、そしてロンドンにおけるウェールズ人が苦労してきたに違いないということが汲み取れます。

しかしながら、ウェールズの独自性や文化伝統を継承しようとしてきた側は若干の危機感も感じているようです。
ウェールズにはエイステズヴォッド(英語読みでアイステズヴォッドとも)という催しがあります。いわばお祭りのようなものですが、詩や音楽が中心の祭典です。現代でも年に1回各地持ち回りで開催されるウェールズ全体の「ナショナル」エイステズヴォッドというものがありますが、元々ローカル規模の小さい祭典が各地でありました。
その一つでドルゲサイで直近で開催された祭典で主宰を務めたリバプール在住のJ.P.エドワーズ氏が、その挨拶の際にウェルシュ・リヴァイヴァルについて触れたとのことです。その記事によると彼はイングランドを覆っている富と享楽の波について述べた後、ウェールズから反動が来たのは非常に健全な兆候だと述べ、次のように述べたとのことです。

とあるエイステズヴォッドの委員長とリヴァイヴァル

…このような運動すべてに否定的な意見を投げかけるのは非常に簡単だが、どの運動もその結果によって判断されるのであれば、ウェールズのリヴァイヴァルはその正当性を十二分に証明している。犯罪は大幅に減少し、その他の疑わしいことも取り除かれた。このリヴァイヴァルの前には人々には恨みと憎しみが蔓延していたが、今や平和と善意が支配し、未払い金すらすでに支払わていることは、驚くべき事実であり、誰にだってわかることである。(p.3)

彼はこのムーヴメントのさなかに各地の小さなエイステズヴォッドがいくつも放棄されたことを知り、正しくないことであると感じていたようで、次のようにまとめています。

歴史と経験から、人間の本性は肉体的にも知的にもレクリエーションを求めていることが明らかだったからだ。人々にはレクリエーションを提供せねばならないが、エイステズヴォッドは国民の人格を高める教育的な要素であり、ウェールズ国民の知的、宗教的、道徳的な強さに貢献するこのような制度をやめるようなことはすべきではない…(p.3)

このようにウェールズ人およびウェールズ関係者の中でも、犯罪率の低下、道徳心の向上や社会への良い影響といった事柄については肯定せざるを得ないものの、これまでのウェールズ的なものを否定して新秩序を構築してしまうのではないかという危惧が現れていると読み取れるでしょう。

さて、今回で1905年の年明けである1月5日号におけるウェルシュ・リヴァイヴァルの記事の読み込みは終わります。

今後どのような紹介をさていくのでしょうか。引き続き、新聞の記事から当時の様子を探っていきたいと思います。

この記事の内容は公開当時の研究結果及び見解を伝えるものです。その後の法令情勢の変化や、見解の変更、学術的なコンセンサスのアップデートなどもありえますので、貴殿がアクセスされた時点での正確性などを保証するものではありません。

27/09/2023

Posted by dzlfox